高校までは国語の時間というものがありまして、
文章読解の他に、漢字テストというものがあります。
これはもう、知ってるか知らないか、の世界なのですが。
テストをして、間違えたら、間違えた漢字を何回か書いて覚える。
間違えなかった漢字はもう多分大丈夫だか書く練習はしない。
楽器の練習も同じようにすればいいのに、
テストの1から10を毎回解くように、最初から最初まで毎回練習することが多い。
出来るところも、出来ないところも、平等に。
なんとなく、曲を通して練習しないとやった気にならないから。
多分、出来ない数カ所をちゃんと出来るレベルまで持ち上げれば全体的に
レベルアップする、と思う。
わかっちゃいるけど、つい目先の楽しさに負けて通して
弾いてしまうのがヒトの弱いところです(笑)
漢字テストでは面倒くさくて絶対に通しで練習などしないのですが。
3分の曲の2小節だけ、数秒を3分間練習すれば同じ時間で何十回も練習できるんですが
通して弾くと1回だけ…。
国語じゃなく、算数だと分かりやすいのか。
いまさら足し算の練習を初めてやるように取り組まないと思います。という風に。
その2
漢字の書き方を覚える以外に、読み方を問われる場合がある。
これは、全部1から10まで丸暗記、というのは最初のうちだけで、
ある程度覚えた漢字が増えてくると、なんとなく知らない漢字でも
読み方が予想できたりする。
漢字は辺と旁(つくり)でできていて、つくりの部分が同じだったら、
辺が違っても殆ど同じ読みだったりするからだ。
時々例外的に違うのがあるけど、それをまた新たに憶えればいいだけ。
覚えた言葉や読み方を使ってどう表現するか、というのはまた別の話だけど、
言葉を沢山知っておく、ということは悪いことではないと思います。
詰め込み教育ってのは、覚えたものから想像したり、創造したり推測したり、
そういう余地を与えないから良くないのかもしれない。
知識を暗記のレベルで、理屈抜きに覚えなければならない時期は必要なはず。
正解は一つではないし、存在しないかもしれないし、正解に至る道もひとつではない。
その2、音楽の話になりませんでしたが、推測して、想像して音楽に当てはめていただければ幸いです。
文章読解の他に、漢字テストというものがあります。
これはもう、知ってるか知らないか、の世界なのですが。
テストをして、間違えたら、間違えた漢字を何回か書いて覚える。
間違えなかった漢字はもう多分大丈夫だか書く練習はしない。
楽器の練習も同じようにすればいいのに、
テストの1から10を毎回解くように、最初から最初まで毎回練習することが多い。
出来るところも、出来ないところも、平等に。
なんとなく、曲を通して練習しないとやった気にならないから。
多分、出来ない数カ所をちゃんと出来るレベルまで持ち上げれば全体的に
レベルアップする、と思う。
わかっちゃいるけど、つい目先の楽しさに負けて通して
弾いてしまうのがヒトの弱いところです(笑)
漢字テストでは面倒くさくて絶対に通しで練習などしないのですが。
3分の曲の2小節だけ、数秒を3分間練習すれば同じ時間で何十回も練習できるんですが
通して弾くと1回だけ…。
国語じゃなく、算数だと分かりやすいのか。
いまさら足し算の練習を初めてやるように取り組まないと思います。という風に。
その2
漢字の書き方を覚える以外に、読み方を問われる場合がある。
これは、全部1から10まで丸暗記、というのは最初のうちだけで、
ある程度覚えた漢字が増えてくると、なんとなく知らない漢字でも
読み方が予想できたりする。
漢字は辺と旁(つくり)でできていて、つくりの部分が同じだったら、
辺が違っても殆ど同じ読みだったりするからだ。
時々例外的に違うのがあるけど、それをまた新たに憶えればいいだけ。
覚えた言葉や読み方を使ってどう表現するか、というのはまた別の話だけど、
言葉を沢山知っておく、ということは悪いことではないと思います。
詰め込み教育ってのは、覚えたものから想像したり、創造したり推測したり、
そういう余地を与えないから良くないのかもしれない。
知識を暗記のレベルで、理屈抜きに覚えなければならない時期は必要なはず。
正解は一つではないし、存在しないかもしれないし、正解に至る道もひとつではない。
その2、音楽の話になりませんでしたが、推測して、想像して音楽に当てはめていただければ幸いです。