「飽きる」
という言葉はあんまりいいイメージじゃないけど、
例えば、「知り尽くした」とか「完全マスター」したと言うことのサインでもあるらしい。
脳が「これ、もう知ってるぜ」と新しい刺激として認識しなくなるからなのかな。
物事を飽きるまでやったこと、ってそういえば最近めっきり減った。
小学生のころは同じ漫画を何度も何度も読んでいたし、
中学生の頃は学校休んでラピュタやらナウシカのビデオを何度も見ていたような。セリフを覚えるくらい。
ギター始めたのもこの頃ですが、お気に入りのアルバムを1枚選んで全曲合わせて弾いてみたりとか。
大学に入ったあたりから、自分が取り扱える情報の量が一気に増え、
あれもしなきゃ、これもしなきゃ、というふうになってきたような気がする。
通学には飽きてましたが…
と、最近思い直して練習や学習をもっと丁寧にやろうとこころがけてますが、
中間結果ですが、
あれこれ中途半端に手を出して身につかないまま時間が過ぎていくよりも
短期的には少しのことしかやってないように見えるけど、
一歩ずつ「飽きる」ことを増やして行ったほうが結果的には近道ですね。
マルチタスクで超人的な集中力で1度に何十のも案件を同時進行させる、
というような方なら別でしょうが…
少なくとも学習段階においては1つずつ、足場を作りつつ登っていくしかなさそうです。
「飽きるまで」というのは確か下の本に書いてあったのかな…脳関係の本だったかな、
下の本は現在絶版で中古しかないようです、新版は…
という言葉はあんまりいいイメージじゃないけど、
例えば、「知り尽くした」とか「完全マスター」したと言うことのサインでもあるらしい。
脳が「これ、もう知ってるぜ」と新しい刺激として認識しなくなるからなのかな。
物事を飽きるまでやったこと、ってそういえば最近めっきり減った。
小学生のころは同じ漫画を何度も何度も読んでいたし、
中学生の頃は学校休んでラピュタやらナウシカのビデオを何度も見ていたような。セリフを覚えるくらい。
ギター始めたのもこの頃ですが、お気に入りのアルバムを1枚選んで全曲合わせて弾いてみたりとか。
大学に入ったあたりから、自分が取り扱える情報の量が一気に増え、
あれもしなきゃ、これもしなきゃ、というふうになってきたような気がする。
通学には飽きてましたが…
と、最近思い直して練習や学習をもっと丁寧にやろうとこころがけてますが、
中間結果ですが、
あれこれ中途半端に手を出して身につかないまま時間が過ぎていくよりも
短期的には少しのことしかやってないように見えるけど、
一歩ずつ「飽きる」ことを増やして行ったほうが結果的には近道ですね。
マルチタスクで超人的な集中力で1度に何十のも案件を同時進行させる、
というような方なら別でしょうが…
少なくとも学習段階においては1つずつ、足場を作りつつ登っていくしかなさそうです。
「飽きるまで」というのは確か下の本に書いてあったのかな…脳関係の本だったかな、
下の本は現在絶版で中古しかないようです、新版は…
タイトルは同じですが著者が変わっているようです。これは読んだこと無いけど、著者の養父さんの文章が結構好きだったので、どうなのかな…
ギターを弾くことが飽きる日は来るのかな?これは来ない気がする。
ギターを弾くことが飽きる日は来るのかな?これは来ない気がする。